2008年11月29日土曜日

11/29 Today マリア・テレジア没(1780)

マリア・テレジア - Wikipedia: "マリア・テレジア・フォン・エスターライヒ(Maria Theresia von Österreich, 1717年5月13日 - 1780年11月29日)は、神聖ローマ皇帝フランツ1世シュテファンの皇后、オーストリア大公(在位:1740年 - 1780年)、ハンガリー女王(在位:同じ)、ベーメン女王(在位:1743年 - 1780年)。オーストリア系ハプスブルク家最後の君主であり、彼女の子供たちの代からは正式には、夫の家名ロートリンゲンとの複合姓(二重姓)で「ハプスブルク=ロートリンゲン家」となる。"


個人的には、当時の王族としては珍しく、初恋の人である夫フランツ・シュテファンとは恋愛結婚で結ばれ(夫の方はこの結婚のために、自分の所領ロートリンゲン公国を手放さなければならなかったのだが)、夫婦生活は非常に円満だった。結婚の4日前にフランツにしたためた手紙が現在も残り、未来の夫への情熱的な想いを今に伝える。この手紙はラテン語やフランス語などの様々な言語で書かれ、彼女の教養の深さを窺い知ることができる。フランツは時折他の女性と浮き名を流すことがあったが、政治家として多忙な彼女はそれらをすべて把握した上で目をつむった。また夫の死後15年間、自らの死まで喪服を脱ぐことはなかったと言われる。
多忙な政務をこなしながら、フランツとの間に男子5人、女子11人の16人の子供をなした。

旦那もエライ。

0 件のコメント: